天才はこう考えた。「統治者が哲学者となれば法と正義で満たされ、市民の全てが幸福な生活を送れるようになる」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

天才はこう考えた。「統治者が哲学者となれば法と正義で満たされ、市民の全てが幸福な生活を送れるようになる」

天才の日常~プラトン<第3回>

三度目のシチリアで待ち受けていたもの

 権勢を誇るディオンを苦々しく思っていた反ディオン派がディオニュシオス二世の耳に有る事無い事を吹き込み、ディオンを追放させたのである。
 ディオン追放後も、プラトンはディオニュシオス二世に懇願されて、シュラクサイに留まった。実際には城から外に出られない状態だったようだが、負けず嫌いな性格のディオニュシオス二世はプラトンに対してディオン以上の親友になるように頼んだのである。
 プラトンも懸命にディオニュシオス二世に講義をした。だが、この独裁者はディオンほどには聡明な人物ではなかったのかもしれない。多くの時間を費やしても、プラトンが満足いくほどには哲学を理解させられなかった。そうこうしている内にシチリアに戦争が起き、プラトンはアテネに帰国することとなった。

 シチリアから追放されていたディオンは、アテネのアカデメイアに滞在して哲学者たちと議論をする日々を送っていた。プラトンもまたアテネに戻り、ディオンと共に再び哲学の探求をしていた。
 だが、シチリアでの戦争が終わると、ディオニュシオス二世からプラトンに再びシュラクサイへ訪れるように要請する手紙が届けられる。当初はその要請を断ったプラトンだったが、度重なる手紙の中で独裁者がディオンの地位をプラトンが望む通りにすると約束し、ディオン本人も再度の教育を望んだことから、三度目のシチリア行きを決意することとなった。

 シュラクサイに到着したプラトンに対して、ディオニュシオス二世は多額の金と多くの権限を渡そうとした。だが、プラトンはそれを受け取らず、ただ哲学の教育に打ち込もうとした。
 プラトンがシチリア行きを決意したのは、ディオンの財産と地位の回復のためという目的も大きかったのだろう。だが、ディオニュシオス二世は約束を守らず、ディオンの財産の処分を勝手に決めようとしたり、ディオンの妻を他の男と無理やり結婚させたりした。ここに至ってプラトンは見切りをつけ、ついにシュラクサイを去ることとなった。

KEYWORDS:

オススメ記事

大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


この著者の記事一覧